スマホで見るスズメはニセモノですらない

スズメが好きだ。
スズメを見ると癒される。

そう言うと、スズメなんかスマホで画像検索すればいっくらでも見れるじゃん、という人がいる。

たしかにスズメの画像が出てきて、つかのま癒されることはあろう。

しかし問題が解決されたように見えて、新たな問題が生まれているな。
問題は、

スマホでスズメを見るときスズメはそこにはいない

画像を見てオレたちがスズメだと感じたもの、それはスズメではなく端末が発した光でしかない。ニセモノだ。否、ニセモノですらない。
本物は3次元で、画像は2次元なんだからな。間違えようがない。


スマホを手にしてるとき、そこには何もない。
あるのは光と音を発する機械だけだ。

スマホはオレたちをダマしてる。
ニセモノの刺激で。

ヒマなときに(しばしばヒマじゃないときにも)見る。

得られるものはなく、ただ疲れる。

そして次の日も、脳は求める。
昨日見せてくれたものをもう一度見せろと。

オレたちは、求められるがままに差し出す。
休まることはない。


スマホが何を解決しただろうか?
スマホが現れてオレらは幸せになったのか?

便利になった点もあったろうが、いかんせん人は便利さだけを利用することができない。

いくら技術が進歩しても、人間の脳は変わらない。

スマホは何かを解決した代わりに、
新しい問題を生み出したとしか思えない。

果たして我々は、スマホの役立つ部分だけをうまく利用することができるのか? そうできるように自分の脳を制御できるのか?


これは容易ではないぞ。
まずは問題を認識することから始めるべきだろう。


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