甘口カレーの存在意義について
余った茄子をフライパンで炒めてレトルトカレーにそえると。

美味しくも何ともない甘口カレーがこれで美味しくなる。
茄子に火がとおって柔らかくなるまで少し時間はかかる。
香ばしい匂いがし始めてから2~3分くらいはガマンしたい。
この甘口レトルトカレーは母が、大量にストックしてるものだ。
辛いのが苦手な孫(ボクにとってはめい)が来た時のために、とかいう理由だ。
邪魔でしょうがなかったが、茄子のおかげで消費できる。
ところで
言いたいことがある。
誰かも言ってたが「甘口カレー」というのは矛盾しとる。
カレーは、辛さを求めて食べるものだ。
だがこの「甘口カレー」という名詞は何なんだ。
辛い、といいながら同時に、辛くない、と言うとるではないか。
少し乱暴に聞こえたら謝らねばならんが、存在しなくてもよいのではないだろうか。
なくても大丈夫だろう。
世界は平和であり続けるだろう。
まだちいさいしょくんよ。
きみら、ほんとうにあれがおいしいんか?
おいしいものがたべたかったら、すなおにおかあさんに「ハンバーグがたべたい」といえばいいぞ。