有料の娯楽に金を払う必要があるのかないのか論争

いや論争、ではない。
個人的疑問だ。単なる。


☆☆☆


そのときどきで支払おうとしてる金についてだな、

「それは本当に支払う必要がある価値なのか?」ということを考えなアカンなと思うことが多い。


下の画像はオレ様の部屋の東の窓から見た早朝の景色なんだが

こんな風に、端末の画面で見てしまうとありがたくも何ともないが、起き抜けに生で見ると極上であるぞ。


きれいだけではなくて、早朝の、静かさ、空気、ニオイとかの相乗効果もあって、この上なく気持ちいい。



ところでこれを味わうのにいくらかかる?

タダ

なんだよな。


「タダより高いものはない」という言葉があって、まあ時にはそう思うこともあるけど、いついかなるときも、というわけではない。

場合による。

「場合による」この言い方は便利だ。




今まで無意識に、楽しむためにも金が要る、と思いこんでたところがある。

でもそれは場合によると今は思ってる。



たとえばオレ様はホームセンターをぶらぶらするのが好きなんだが、

これに、どれだけの費用がかかるか。


無料ではないぞ?

支払うのが金だけとは限らない。

時間や労力や気力も、金と同じく手持ちの資源と考えられる。

すると、ホームセンターに行くためには、



移動のときの車のガソリン代

移動時にかかる時間



がかかるよな?


ホームセンターうろつくことが、さっきの自室で見れる早朝のタダ風景に、これら費用分の価値を上乗せして与えてくれてるかというと、いささか疑問なんだよな。



インターネットのコンテンツはどうだ?

例えばYouTube


支払う費用は、


関連動画によって不必要に支払われる(奪われる)時間

スクリーンの視聴による気力・注意力の消費

広告を見る時間

毒にしかならないような情報のインプット



と膨大だが、これだけ支払って得られるものは?


無い

と言ってよろしかろう。


リフレッシュするどころか、かえって疲れたり、不機嫌になったりしちまう。

何してたんだオレ、って話よ。



そういう観点からすると、世の中コスト支払う価値があるものってどれほどあるんだ?

朝日は、日によってこういう異なった表情を見せてくれる。


飽きることがないんだよな。

これだけの気持ち良さを、金で買おうと思ったら、けっこう大変だぜ?



であるなら、


これを超えない価値に対して費用を支払う必要あるか?

オレたち、いったい何に金使ってんだろな。

って思ってる。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です