大谷翔平のホームランはオレたちを救う(か?)
この間知り合いに、大谷翔平が出場した大きな大会の中継をオレ様が観てなかったことに対して、なぜ観ないんだ、大谷翔平を応援すべき、と軽く責められた。
いや待て、オレ様は大谷を応援している。
しかも尊敬してる。
彼の「憧れたら超えられない」は名言だ。
しかしテレビを観ずに応援することもできるからな。
心の中で応援してても、大谷にとっては喜ばしい。
それにこう言っちゃなんだが、応援してなかったとしても大谷にはバレない。
知らぬが仏で彼は相変わらず頑張り続けるだろう。
逆に、オレたちが頑張ってるとき大谷はオレたちを個別に応援してくれるだろうかという問題もある。
さらに申さば、大谷が100本ホームランを打っても、彼自身には嬉しいことだが、どうやらオレたちは得しない。
勇気をもらえる?
いや、残念だがそれもない。
もらえたと思ってもテレビを消したときいっしょに消えちまう勇気だ。
唯一、利用できる形で勇気をもらえたとしたら野球少年ぐらいだ。
いっぽう大谷を中継とかニュースで観なければ、大谷について思い出すことも少なくなる(心理学用語でいう利用可能性ヒューリスティック)から、大谷の話題で過剰に時間を消費することもなくなる。まさしく一石二鳥。
できれば、大谷を応援して頑張らせるかわりに、自分が頑張れればより好ましい。
余った時間で外に走りに行くってのはどうだ
続けるのはたいへんだが1年続けば習慣になるぜ。
それが回り回って大谷のためでもあり、日本のためでもあり、誰より自分のためではなかろうか。